○ 歴史的な街並みと建造物
● 弘前市
弘前市は1,611年(慶長16年)に弘前城が完成し、以来津軽藩の城下町として発展してきたまちで、弘前城を中心に町割りがされました。市内は、戦災を免れたため、津軽家の菩提寺である長勝寺、わが国最北の五重塔である最勝院五重塔など寺社や武家屋敷、明治以降の洋風建築が数多く残っています。
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(1)弘前市仲町伝統的建造物群保存地区
仲町地区は弘前城の北側にあり、城下町の遺構が数多く残っていることから、1977年に伝統的建造物群保存地区に選定されました。代表的な武家屋敷としては、「岩田家」「梅田家」「伊東家」があり、公開されています。
(2)石場家住宅(弘前市)
石場家は、弘前城跡の北側、仲町伝統的建造物群保存地区の近くにあります。弘前藩出入りの商家で、わら、米、肥料などを扱っていました。建築年代は江戸時代後期と推定され、全体的に木柄が太く、構えも大きなもので商家の遺構として貴重です。
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石場家住宅(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
(3)弘前の神社仏閣
弘前は城下町のため、寺院街があり、弘前の街並みを落ち着いたものにしています。その一つは、長勝寺をはじめとした城の西南に禅林街と呼ばれる西茂森町や、城の南には各宗派のお寺が並んでいる新寺町があります。
そのほか、国重要文化財に指定されているものとして、市の中心部周辺には京都の誓願寺山門を模してつくられたといわれる誓願寺山門2代藩主信枚が日光東照宮を勧請したことにはじまる弘前東照宮などがあります。
(4)弘前の洋風建築
また、弘前市の中心部には、明治から昭和初期に立てられた洋館が多く残っています。代表的なものは、旧第五十九銀行本店本館(国重要文化財)、弘前学院外人宣教師館(国重要文化財)などがあります。
津軽地方の明治中期から後期にかけての洋風建築において、弘前出身の大工棟梁堀江佐吉が教会、師団、東奥義塾(弘前市にある津軽藩校を前身とする高校)関係など数多くかかわっています。堀江は「初期疑洋風を地方に移入した先進棟梁」であり、また、「木造洋風を積極的に習得し、その設計、施工を推進した数少ない棟梁」の一人と考えられています。
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【文献】
・ 草野和夫『津軽の洋風建築』1986.8 北方新社
● 黒石市
黒石市は、津軽藩の支藩の城下町として、明治以降も郡役所の所在地と街が形成されてきました。黒石の街並みや文化で重要なものに「こみせ」があります。
こみせとは、藩政時代から今に残る津軽地方に独特なアーケード状の通路のことで、商店がその軒先を出し合い雨風や雪に妨げられることなく、人が行き来できるようにしたものです。黒石市では中心部の中町にまとまった形で残っており、全国的にも類例がありません。通りには、国の重要文化財「高橋家住宅」、黒石市文化財「鳴海家住宅」があります。1987年に「日本の道百選」に指定されました。
黒石市中町の「こみせ通り」中央部に位置するのが、高橋家住宅です。高橋家は黒石藩御用達の商家で、主に米を扱っていました。江戸時代中期に建てられながらも、建物及び戸、障子などもよく保存されています。
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● 青森市
青森県の県庁所在地青森市は、津軽藩の商港として青森湾に並行して街並みが形成されてきたまちです。しかし、度重なる大火や戦災にあい古い街並みや建築物がほとんど残っていない街ですが、市の西部に2つの洋風建築が残されています。
(1)青森市森林博物館
青森市森林博物館は、1908年に旧青森営林局として建築されたルネッサンス木造建築物です。1982年に青森市森林博物館として、わが国で最初の森林をテーマにした博物館として開館しました。
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(2)イタリア館
油川は青森市北西部にあり、青森開港以前からの港町でした。造り酒屋や味噌蔵など、往時をしのばせる街並みが残っています。イタリア館は、1923年イタリア人ジュセップ・ファブリーにより、いわしの缶詰工場として建設された洋館です。この工場では、陸奥湾でとれるイワシをオィルサーディンに加工してイタリアに輸出していました(陸奥湾のイワシは良質なことから、いまでも焼き干しなどで知られています)。青森県で一番最初の水産加工場です。現在は一般住宅となっています。
● 岩木町
岩木町は弘前市に隣接し、岩木山麓に広がるまちです。津軽藩祖の大浦光信公が大浦城(現在の津軽中学校地内)を築き、大浦為信公がここを拠点に津軽統一を果たしたといわれています。
この「津軽文化発祥の地」としての誇りを高め、地域の特色を存分に発揮してきた風土を育むため、伝統的な文化や郷土芸能、歴史遺産などの保全と継承に努めています。
岩木山の南東麓・百沢には岩木山神社があります。建物は歴代の津軽藩主により寄進されたもので、明治以前には「百沢寺」(ひゃくたくじ)と呼ばれる寺でした。本殿は青森産のヒバ材で作られています。
また、高照神社は、第5代津軽藩主信寿により、吉川神道の思想に基づいてつくられた、本殿・中門・随神門・拝殿及び幣殿からなる貴重な遺構です。
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● 八戸市
八戸藩は盛岡南部藩の支藩として1664年に誕生し、藩政時代は城下町として発展してきました。現在も中心部の町割りは、城下町以来のものです。しかし、八戸城は明治時代に取り壊され、現在は三八城公園となっているほか、市中心部における城下町の遺構は、八戸城御殿表門が唯一のものといえます。
市中心部周辺では、櫛引八幡宮、清水寺観音堂(国重文 青森県内最古木造建築)などがあります。櫛引八幡宮の「赤糸威鎧 兜、大袖付」「白糸威棲取鎧 兜、大袖付
」は、国宝に指定されています。
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櫛引八幡宮
(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
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清水寺観音堂
(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
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● 三戸町
青森県三戸町は、青森県南東部、岩手県との県境に位置する歴史のある町です。三戸は16世紀前半の頃は南部家の本拠でしたが、南部家が福岡、そして盛岡城に移り、三戸城は1633年以降、廃城となりました。その後は、奥州街道と鹿角街道の追分宿として栄えました。町の市街地には、龍川寺、法泉寺などの寺社も多く、落ち着いた街並みを作っています。
現在、三戸城本丸の角櫓を復元した温故館(資料館)、南部三郎光行を祀る糠部神社があり、城の一帯は城山公園として桜の名所になっています
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城山公園(三戸町HP「観光情報」) |
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三戸城(日本の城・世界のお城HP「東北」) |
【文献】
・ 無明舎出版編『奥州街道』2002.12 無明舎出版
● 尾上町
(1)盛美園と盛美館
尾上町は、青森県弘前市と黒石市の中間に位置するまちです。町は、古くから植木の町として知られ、国指定名勝の盛美園をはじめとする庭園、猿賀神社や、街中に数キロにわたる生け垣もあり、落ち着いた街並みを形成しています。町では、生け垣条例を制定し生け垣を残し美しい街並みを残す取り組みを行っています、
盛美園は、この地方の豪族である清藤家24代盛美が1911年に造らせた庭園で、明治時代の日本三名園のひとつに数えられています。盛美館は盛美園を眺めるために建築された和洋折衷様式の建物です。
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● 函館市
函館市は、幕末より長崎、横浜と並びわが国最初の開港場として外国人との接触による外国文化が流入し、函館山麓の元町・末広町界隈を中心に街が形成されてきました。函館山と港湾に挟まれる元町、末広町付近は、函館発祥の地として、和洋折衷や純洋式の建物、教会、坂道の街路、港湾施設、記念碑などが残り、独特の町並みを残してきており、平成元年に『函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区』に選定されています。
函館市内の建築物で国指定文化財となっているものは、太刀川家住宅・店舗、旧函館区公会堂、ハリストス正教会、旧遺愛女学校宣教師館の4点です。また、登録有形文化財には、五島軒本館、遺愛女子高校、北海道教育大学北方教育資料館、プレーリーハウス(佐田邸)、函館中華会館の5点が指定されています。
このなかで、元町末広町界隈の建造物の何点かご紹介しましょう。
(1)太刀川家住宅
太刀川家住宅は、1901年(明治34年)に建てられた住宅・店舗です。太刀川家は、初代善吉が米穀店と回漕業を営み、一代で財をなしました。この建物は一見、れんが積み土蔵風造りにみえますが、実は煉瓦造りに漆喰を塗ったものでヨーロッパの構造形式を取り入れています。
明治の商家建築として、1971年(昭和46年)に国指定文化財となりました。
(2)函館ハリストス正教会
函館ハリストス正教会は、1859年、元町にロシアの領事館の付属聖堂として建てられました。1861年の函館大火により1度は焼失しましたが、1915年にロシア風ビザンチン洋式で再建されました。正方形の本堂内部と丸い天井が特徴です。
(3)旧函館区公会堂
旧函館区公会堂は、1910年、元町に完工した木造の洋風建築物です。
建物の様式は、アメリカの殖民時代に公共建築に用いられたイギリスの古典主義の簡略した様式で「コロニアル・スタイル」と呼ばれるものです。公会堂内部は、明治洋風建築に共通したルネサンス調です。
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(4)函館中華会館
函館中華会館は、1910年に現在地の大町に開館しました。中華会館の前身となる集会施設が1907年の大火で焼失したため、当時の華僑の力で資金を投じ、中国から材料を取り寄せ、大工、彫刻師、漆工を招き2年がかりで建築した純中国風の建物です。
【文献】
・足達富士夫、小杉八朗『歴史の町並み 北海道・東北篇』1980.1 日本放送出版協会
・北海道新聞社編『はこだて歴史散歩』1982.5 北海道新聞社
(5)五稜郭
歴史の項(明治維新と北方世界 戊辰戦争)を参照
● 江差町
江差は、西蝦夷地における商港、ニシン漁業の中心として栄えました。江差の往時の繁栄ぶりは、商家である「旧中村家住宅」(国重要文化財)や、鰊御殿と呼ばれる網元建築「横山家」に、窺うことができます。また、明治時代の郡制度の名残ともいえる洋風建築「旧檜山爾志郡役所庁舎」(北海道有形文化財)があります。
町では、これらの歴史的建造物や史跡、旧跡などの資源を生かしたまちづくりを進めるため、下町地区「中歌、姥神町一帯の旧国道沿い地区」を、江差いにしえ街道として整備を進めています。
(1)旧中村家住宅
旧中村家は、北前船交易で財をなした回船問屋です。造りは、総ヒノキ切妻造りの2階立て母屋です。さらに母屋から浜側まで文庫倉・下の倉・ハネ出しまで続く「通り庭様式」となっています。ハネ出しとは、弁財船からの荷の積みおろしに使用する桟橋的機能をもつ、木造2階立て倉庫です。また、現在は、鰊漁の道具などが展示されており見学することができます。
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旧中村家(江差町HP「歴史・文化・観光情報・江差いにしえ街道」) |
(2)横山家
横山家は、鰊御殿と呼ばれる網元建築の屋敷です。初代が江差町で回船問屋をはじめてから200年以上が経過しました。建築様式は、旧中村家住宅と同様に切妻造りの2階立て母屋です。横山家も旧中村家住宅と同様に、見学することができます。
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横山家
(江差町HP「歴史・文化・観光情報・江差いにしえ街道」) |
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(3)旧檜山爾志郡役所庁舎
旧檜山爾志郡役所庁舎は、1887年にロシア人の設計により建設された開拓使時代の道内唯一の現存郡役所庁舎です。
【文献】
・足達富士夫、小杉八朗『歴史の町並み 北海道・東北篇』1980.1 日本放送出版協会
● 松前町
松前城は1854年に築城され、日本最北の城下町が形成されました。その中心は松前城下に開けた寺町です。
日本最北の城下町である松前町の中心、寺町には、最も古い松前家の菩提寺である法幢寺をはじめ、龍雲院(国指定重文)、法源寺(山門は国指定重文)、光善寺、阿吽寺などの松前藩ゆかりの寺社があります。
松前城の天守閣は1961年に再建されたもので、築城以来残るのは本丸御門で国史跡に指定されています。城全体は松前公園として活用され250種約1万本といわれる北海道内一の桜の名所となっています。
なお、「福山城(松前城)と寺町」は、平成13年に北海道が制定した「北海道遺産(第1次選定分25件)にはいりました。
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寺町散策(松前観光協会HP) |
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松前藩屋敷
(松前町HP「まちづくり」から「文化財保存ゾーン」「まちづくり」から「高台公園ゾーン」) |
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松前城(日本の城・世界のお城HP「北海道」 |
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■ 民家
(1)平山家住宅(青森県五所川原市)
平山家は五所川原市にあり、農業のかたわら弘前藩広田組代官所の手代ほか、周辺の大庄屋も兼ねていました。広い建物は、津軽地方の豪農の屋敷構えをよく残しています。建築年代は『平山日記』から1769年頃と推定されています。
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平山家住宅
(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
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(2)笠石家住宅(青森県十和田湖町)
笠石家住宅は、上北郡十和田湖町18世紀の中ごろ建てられたといわれており、当時の上北地方の大型農家の様子がわかります。現在は、十和田湖町民俗資料館の隣に移設されています。
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笠石家住宅(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
(3)江渡家住宅(青森県五戸町)
江渡家住宅は、三戸郡五戸町にある在郷士族住居をよく残した遺構です。建築年代は文献記録から1783年〜1785年くらいと認められています。江渡家は、南部藩五戸代官所下役の給人であるが、農業も営んでいたため、広大な屋敷を構えていました。
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江渡家住宅(青森県HP「ここほれ,あおもり!」青森の文化) |
(4)斜陽館(青森県金木町)
斜陽館は、1907年に作家太宰治の父である津島源右衛門が建てた家であり、全19室にもおよぶ明治時代の地主の建物です。現在は、金木町太宰治記念館となっています。
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