箭根森(やのねもり)八幡宮

八幡宮の由来

 古佐井川と大佐井にはさまれた丘陵地帯に
古くから村民の信仰を集めてきた箭根森(やのねもり)八幡宮
があります。
 御祭神は八幡大神と言われる第15代応神天皇・誉田別尊
(ほんだわけのみこと)。応神天皇の御母神功皇后・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)がまつられています。誉田別尊は国家鎮護の守護神です。また息長足姫尊は、安産・育児の御神徳があり、比売大神は海上・陸上交通の安全の守り神であると伝えられてきました。
 港町として栄えていたこと土地らしく、宝永6年4月に能登屋長左ェ門の船につまれ、海上安全の守り神として、出羽三山の月山神社から天照大神の妹神・月読尊(つきよみのみこと)の御分霊を賜り、共にまつられています。
 この八幡宮がいつごろからこの村に祀られているのかははっきりしませんが、「箭根森八幡宮縁起」には、康平5年(1062年)、源頼義(みなもとのよりよし)により勧請され、延宝2年(1674年)に社殿を再建したという神社の由来が書き残されています。
 源頼義がこの最果ての地を訪れたものかどうかは定かではありませんが、箭根森八幡宮には、源頼義にまつわるこんな伝説が今に残されています。

   奥州の住人、安倍頼時、貞任が反旗を翻したため、それを押さえる目的で奥州へ向かった源頼義は、康平5年(1062年)、ようやくこれを征伐しました。その頃、奥州の北の果て、半島の尻屋という里に鬼人が棲み牛や馬を襲うなど、半島に住む人々に大きな被害を与えていました。それを聞いた頼義は、佐井の地に足を運びます。頼義は浜の潮を浴び、身を清めてから、小枝を折ってご幣を作り、一心に八幡神に祈り、兵士達もその間、矢を磨き剣を研ぎました。
七日目の祈願をしている時、あたり一面がにわかに暗くなり、恐ろしい形相をした悪鬼が現れます。多くの兵士がたちまち悪鬼に踏みにじられてしまいました。その時、七里崎のこずえに1羽の白鳩が飛び上がったかと思う間に、白衣の神が人の形で現れました。神様は神変の弓に神矢をつがい、それを放つと、鏑矢(かぶらや)=邪気を払う矢 の音に海が響き、矢は雲に飛び入ったかと思うと、悪鬼の額の真っ只中を射通して退治しました。頼義は神功に感謝してそこに岩清水の八幡宮を建立したのだといいます



 この八幡宮の周辺には古くから矢の根石がたくさん見つかっています。”箭根森”の名称はそこからきたものでしょう。ここの神様は、矢の根石を愛する神様で、二つ以上拾って持っていくと、神罰があたる、とも伝えられています。
 さて、箭根森八幡宮が南部藩に御神興の渡御を許され、祭礼を執り行ったのは元禄9年(1696年)。この年から村では年に一度の祭礼が行事となり、平成7年には開始から三百年の節目を迎えました。

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