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太平洋無着陸横断飛行
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ミス・ビードル号太平洋無着陸横断飛行

41時間10分で4,900マイル

 1931年(昭和6年)10月、米国人飛行家クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンの二人は、単発エンジンで単葉機であるミス・ビードル号によって現在の 三沢市にある淋代海岸を離陸、太平洋上を無着陸で横断飛行し、米国ワシントン州ウェナッチ地区に着陸しました。彼らの飛行は世界初の成功を収めることとなりました。

 彼らはもともと、 1931年の6月にウィリー・ポストとハロルド・ゲッティという別のパイロットたちが記録した、8日間15時間51分の世界一周早回りを打破する目的で世界を飛行していました。しかし、彼らの当初の試みは様々な事情により成功に至ることができませんでした。そこでパングボーンらは、最後の挑戦として、太平洋を無着陸で横断する飛行を決行したのでした。

 太平洋上で彼らは、機体重量を軽減し、少しでも飛行距離を延ばすため、車輪を機体から切り離しました。また、小さなコンパスを頼りに方向を確認し、夜は北極星を目印に進みました。そしてついに、現在の東ウェナッチ市である泥地に胴体着陸しました。

 三沢市の淋代海岸を飛び立ち41時間10分後、距離にして約4,900マイル(7,847km)の区間を、パングボーンとハーンドンは飛び続け、ウェナッチ地区での着陸に成功しました。彼らはこの時、世界で初めての記録を樹立し、その名を永遠に航空史に残すこととなりました。

 この成功の裏には地元三沢の人々が平らな砂地の滑走路の上に厚い杉の板を敷き並べて飛行機が滑走しやすくしたり、ガソリンの輸送と機体への積込や機体の整備、宿泊の世話など成功を祈って協力を惜しまなかったというエピソードがありました。

 淋代海岸には、この快挙をたたえる『太平洋無着陸横断飛行記念碑』が、小川原湖畔(市民の森)には飛行40周年記念碑『翔翼の碑』が立てられています。


三沢淋代海岸を舞台に北太平洋の大空に挑戦した記録

第1回
  • とき 昭和5年9月14日
  • 機名 タコマ市号
  • 飛行士 ハロルド・ブロムリー、ハロルド・ゲッティ
  • 目的地 タコマ
  • 結果 機体故障によりカムチャッカ沖から引返し、下北半島東通村尻労に不時着。
第2回
  • とき 昭和6年5月31日
  • 機名 パシフィック号(タコマ市号を改名)
  • 飛行士 トーマス・アッシユ中尉
  • 目的地 シアトル
  • 結果 2000mを滑走したが浮力がつかず停止。
第3回
  • とき 昭和6年9月8日
  • 機名 クラシナマッジ号(パシフィック号を改名)
  • 飛行士 セシル・アレン、ドン・モイル
  • 目的地 シアトル
  • 結果 出発後数日消息を絶ったがカムチャッカ東北端の無人島に不時着していたところをロシア船に救助された。
第4回
  • とき 昭和6年10月4日
  • 機名 ミス・ビードル号
  • 飛行士 クライド・パングボーン(35才)、ヒユー・ハーンドン(26才)
  • 目的地 ソルトレークシティ
  • 結果 無事太平洋を横断し、ソルトレークシティへ向ったが、途中濃霧のためウェナッチへ胴体着陸。

第5回

  • とき 昭和7年9月24日
  • 機名 第三報知日米号
  • 飛行士 本間清、馬場英一郎、井下知義
  • 目的地 サンフランシスコ
  • 結果 3回目にしてやっと離陸、その後間もなく消息を絶ち、遭難地点と推測される択捉島東岸及び得撫島一帯を捜索するも行方不明。

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