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秋田雨雀の経歴


月 日 経   歴
明治16年  1月30日 青森県南津軽郡黒石町大字前町38番地(現在黒石市前町17番地)に生まれる。
本名は徳三 父・玄庵 母・まつ
「病弱で臆病な子供であったので、自分を卑下する気持ちで『雨雀』と呼んだ」(雨雀日記)これが後でペンネームとなった。
明治20年  9月 8日 青森県南津軽郡第一学区公立黒石尋常小学校入学、同級生に後年、口語歌人として名をなした鳴海要吉(明治16年7月9日生、昭和34年12月17日死亡)がいる。
以後、よき友人として、またライバルとしての交際が続けられる。
明治30年  4月 8日 青森県立第一尋常中学校入学(現在の青森県立弘前高等学校)
明治35年  4月 東京専門学校(この年9月、早稲田大学と改称)英文科に入学
明治39年   箭田きぬと結婚(正式な届出は明治44年9月19日)
明治40年  6月 小説「同性の恋」を発表
これが処女作といわれ、以後、早稲田文学新進小説家の一人として注目される。
明治45年  4月 戯曲「埋もれた春」を発表
以後、数え切れぬほどの詩、小説、戯曲、童話、随筆、評論などあり、一方、新劇運動、エスペラント運動でも活躍
昭和28年 10月17日 黒石市御幸公園内蝦夷館に雨雀歌碑建立
「みつばちの 巣ばこに われは耳あてて はるかにもきく 春のおとずれ」
昭和35年  1月 1日 黒石市長高樋竹次郎より名誉市民に推戴される。
昭和37年  5月12日 午後4時、生涯を終える。79歳
   6月10日 黒石市黒森山の浄仙寺に歌碑建立
「ひとさしを わが手のひらに おしあてて 文字を教えし 父のなつかし」
昭和47年 11月 5日 黒石市山形町の法眼寺に句碑建立
「手を拡げて 小さき実をこぼす 初霰」



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