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広報くろいし2005年10月1日号より
くろいし魅力百選 その89
黒石藩祖信英と黒石神社

   

黒石神社
 
 黒石藩祖といわれている初代領主・津軽信英は、明暦2(1656)年、弘前藩から5千石の分知を受け「黒石津軽家」を創立したほか、「黒石領」を成立させ、後年「黒石藩」の基礎を作りました。

 弘前二代藩主・信枚の二男で、為信の孫にあたる信英は、元和6(1620)年10月6日、江戸神田の藩邸で誕生。幼名の万吉から信逸、信秀と称し、分知後は十郎左衛門信英を名乗りました。

 寛永8(1631)年、12歳の信英は、弘前藩主三代を継いだ兄・信義とともに三代将軍家光に会い、同19(1642)年の時、23歳で幕府小姓組に召し出され「幕府旗本」の一人となりました。
 
 

 江戸を生活の本拠として公務に勤める一方で、文武の修行にも励み、両道の優れた人材として、幕府は信英に厚い信頼を置いていました。

  明暦元(1655)年11月、弘前藩主・信義が急死したため、10歳の津軽平蔵信政に4万7千石を受け継がせ、このうち5千石を信英に分知させるよう命じました。

  翌2(1656)年、幕府から帰国のの許可を受け、4月26日に弘前に帰城し、ただちに政務を開始。

 「黒石津軽家」を創立し、黒石村に陣屋を築き町割りを行ったほか、引き続き幕府旗本、弘前藩の後見人、黒石領主という激務をこなしました。

 信英は、寛文2(1662)年9月に43年の生涯を閉じましたが、遺言により黒石陣屋の東南の隅に廟を建立して埋葬。信英肖像

 以来、この地は御廟とよばれたほか、明治12(1879)年には、信英を祭る黒石神社が建立されました。






   


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