1972年4月1日、晴山小学校と羽立小学校が統合し、仮称「十和田市立第六小学校」として開校しました。校舎はまだ建設中で、開校1年目は晴山・羽立校舎に分かれてのスタートでした。
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1973年3月22日、第1回卒業式は晴山・羽立校舎ごとに行われました。第1回卒業生15名は建設中の新校舎前で記念写真をとりました。後列中央は初代校長、齋藤胖先生です。
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1973年2月に「ちとせ小学校」と校名が決まりました。ひらがなの校名は青森県内初めてでした。
また、4月7日、新校舎前で開校式を行い、この日を創立記念日としました。
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校舎はできましたが、体育館はまだありませんでした。13学級392名の児童全員が集まる朝会の場所は玄関前でした。また、入学式や卒業式も視聴覚室で行われました。
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校舎のまわりの整備もまだじゅうぶんではありませんでした。市内のポートボール大会の練習もでこぼこのグランドで思うようにドリブルができなくて苦労したそうです。
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学校のまわりに苗木を植え、根がつくまで水をかけたり、土手に芝生を作ったりする作業には4年生以上の児童も手伝いました。花だんも、くわを持ってブロックを並べて作りました。
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学校ができたころの航空写真です。今の北校舎だけで、体育館も南校舎もプールもまだありません。学校の周りには田んぼだけでしたが、季節ごとの田園風景はとてもきれいだったそうです。
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1974年、体育館が完成しました。これは、建設中のようすです。12月7日には校舎と体育館の落成式を行い、みんなで完成を祝いました。また、この年には校歌と校章も制定されました。
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1976年、サッカーチームは郡予選1位、県大会2位、東北大会4位と活躍しました。また、ミニバスも78年に第1回市内大会に優勝するなど、スポーツでちとせ小の名が知れ渡りました。
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1977年、PTAと市のテニス協会の方々の協力で、今の南校舎の所にテニスコートが作られました。当時はテニス部もできましたが、南校舎建設のため、残念ながら3年でなくなってしまいました。
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1981年には学級数15、児童数は500名をこえるため、南校舎が建設されました。当時は普通教室7つと、音楽室、児童会室に使用されました。また、ちとせ幼稚園(今の仲良し会)も作られました。
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当時は八甲田山への登山遠足も行われていました。
学校指定のトレパンは緑色で、胸にひらがなで「ち」のマークが入っていました。
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1984年3月の卒業生を送る会の様子です。当時はバトントワリングや鼓笛隊も結成されていて、運動会や式典で演奏・演技が披露されていました。
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今も体力づくりのためにマラソンがさかんですが、1985年当時は全校でのマラソン記録会も行われていました。35年の歴史の中で最も児童数が多かったころで、635名が在籍していました。
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1986年8月、第5回県小学校すもう大会で優勝しました。県南では初の快挙でした。後列左の監督は、なんと今の小林礼次郎校長先生です。
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1987年の学級写真です。当時は図工教育がさかんで、東北造形教育研究大会や図工・美術教育ゼミナールの会場校となり、たくさんの先生方が学校をおとずれました。
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1987年11月1日、15周年記念式典を行いました。この年の卒業生とPTAの合作で記念塔が建立され、前庭の「希望の塔」とならんでちとせ小のシンボルタワーとなっています。
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1991年10月27日、創立20周年にむけて「親子ふれあい駅伝」が行われました。
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1997年7月、創立25周年を記念して「ちとせふれあい祭り」が行われました。グランドではPTAが工夫をこらした出店やゲームなどでにぎわい、翌日は親子一緒に校舎内の壁のペンキぬりをしました。
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1998年の学級写真です。中央にかざられているのは15周年を記念して寄贈された「千年びな」で、お母さん方の手作りのひな人形です。
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1998年7月、学校のトレーニングウエアのデザインに一新、現在のものとなりました。写真は新旧交代時期の運動会です。また、教育用パソコンが9台設置されたのもこの年です。
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今から5年前、創立30周年を迎えました。学級数19、児童数は543名でした。今の6年生のみなさんが1年生に入り、前列に立ってポーズをとっています。
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今年2007年、創立35周年にちなんだ種目をふんだんにとりいれて運動会が行われました。
先輩方が作り上げてきた伝統を胸に、これからもはばたいていくちとせっ子たちです。
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